昨日から今日にかけて一周。

今日は昨日の日記に書いたとおり、佐世保から家に帰るだけです。
ただ帰るだけでは面白くないのでドライブでもしながら帰りたいと思います。
その前に今日は日曜日なので血糖測定。

7:35 94

出だし好調です。
朝食にしましょう。
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ホテルの朝食です。
ノボラピッド10単位注入。
納豆と卵は残してしまいました。
さっそく出発したいと思います。
帰りはまず西彼杵半島を通りたいと思います。
昨日から今日にかけて大村湾を一周します。
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国道202号線を進みます。
最初に立ち寄ったのはここです。
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西海橋です。
アーチ支間216mは建設当時、固定アーチ橋としては東洋一、世界第3位だったそうです。
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こちらは新西海橋
なんと今年の3月5日に開通したばかりだそうです。
西海橋を渡ります。
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右奥にあるのは無線塔です。
実はここに来る前に近くまで行ってみたのですが、こんなものがありました。
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これでは先に進めません。
諦めることにしました。
さてここで血糖測定。

9:15 103

なかなか良い感じです。
けっこう歩いていますからね。
お腹が痛くなったりしながら結局西海橋付近に一時間近くいました。
国道202号線から国道206号線へ。
時津町で国道207号線に入ります。
この国道207号線がもうびっくり。
「えっ、本当に国道なの?」
と思うような道なのです。
蜜柑畑に迷い込んだのかと思いましたよ。
そして再び諫早市
ここで昼食にすることにしました。
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天ぷらとざる蕎麦とミニちらしです。
ノボラピッド10単位注入。
ここは完食しました。
午後からは国道57号線、国道251号線と進んでいくわけなんですが、行きとは逆に小浜方面に向かいます。
昨日から今日にかけて今度は島原半島を一周するわけです。
そして15:30発のフェリーに乗る予定です。
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風車好きの私としては是非とも近くまで行きたいところなんですが先を急ぎます。
実は今回どうしても行きたいところがあるのです。
今日は昨日と違って天気が良くてドライブ日和。
海沿いの道は気持ちがいい。
急いでいたので写真はありませんが、小浜を通り、口之津を通り、快適なドライブを満喫しておりました。
そして、
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目的地に着きました。
ここは何処かというと、
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はい、原城跡です。
とりあえず血糖測定。

13:40 119

良いよ、良いよ。
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ここはどんなところかというとこういう風に書いてありました。

史跡 原城跡

国指定 昭和十三年五月三十日
原城は、明応五年(一四九六)、領主有馬貴純(八代目)が築城したものといわれ、別名「日暮城」と呼ばれている。
城は、県下最大の平山城で、周囲三キロメートル、四一万平方メートルの規模をもち、有明海に面して南東に突出した岬を利用した要害である。
城構えは、本丸、二の丸、三の丸、天草丸、出丸などで構成されている。
慶長十九年(一六一四)、島原藩主有馬直純(十四代目)は日向国県城(宮崎県)に転封され、元和二年(一六一六)、松倉重政が大和五条(奈良県)から入部した。
松倉氏は、一国一城令により原城を廃城とし、元和四年(一六一八)からの島原城(森岳城)の築城にあたり、構築用の石材として、この城の石垣等を運んだものと見られている。
松倉氏の藩政は、領民へ苛酷な賦役と重税を課し、キリシタン弾圧など、きびしく行ったため、寛永十四年(一六三七)十月二五日に天草四郎時貞を盟主として、「島原の乱」が起こった。
原城は、同年十二年三日から寛永十五年二月二八日まで、領民(天草の領民を含む)約三万七千人(二万七千人ともいわれている)が八八日間たてこもった「島原の乱」の終焉のちである。
痛ましき 原の古城に来て見れば ひともと咲けり 白百合の花   新村 出

平成二年三月三十一日 設置
文   部   省
南有馬町教育委員会

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天草四郎像です。
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天草四郎時貞の墓碑です。
そして無事に15:30発のフェリーに乗りました。
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機会があれば今度は雲仙に行ってみたいと思います。
そういえばせっかく佐世保に行ったというのに佐世保バーガーもレモンステーキを食べてませんからね。
今度は是非食べたいなと思います。
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見えている島は湯島です。
別名「談合島」ともいわれていて、天草四郎時貞たちが島原の乱の際に戦略の秘策を談合したり刀などの武器を製造した島です。
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ここはいつぞやの橋の仲間です。
そんなわけで無事に帰ってきました。


いやあ、かなり楽しいひとときを過ごせましたよ。
また行きたい、温泉に行きたい。